あかいゼラニウム

徒然なるままに

4月15日-あいしてるという-

4月15日

こんな長い一日は初めてだった。

10時38分いつも通り目が覚めてツイッターを覗くとTLの様子がおかしい。すぐにメールを確認した。ファンの皆さまへのお知らせ、背中がひやっとしてそしてこんなに落ち着かない20分間も初めてだった。最初に記事が出た時私は笑い飛ばしたありえないでしょと、ただ、2日目あたりから少しだけ不安を感じてた何よりもストレスだった。"絶対"なんてない痛いほど学んできた。現にYJにはそうやっていなくなってしまった人が沢山いる。"絶対"も"永遠もない私は知っていた。でもね、11時にそれを見るまで不安はありつつも海外公演の発表だと無意識に思ってしまっていたんだ。「あんだけモヤモヤしたの馬鹿みたいじゃーーん」て笑ってまた元の生活に戻れると思ってた。

結果、泣き叫んで丸一日中泣き続けた。もう次こんな泣き叫ぶのは家族に何かあった時だろうなってくらい、、、後30年はしたくない。現にこの文章を書きながらも泣いてる。多分これからも暫くはふとした瞬間に泣くんだと思う。ほんとにきつい一日だった。今も痛い。

彼らが大好きだった。ファン歴は決して長くない。でも、新しい環境、一人暮らし、そして学校がほんとにしんどくて休みなんてないし休みの日すら頭の中から学校を消し去ることができなくて。毎日彼らの音楽を聴いてた。学校行くときはナントカナルサとズッコケばっかり聴いてた。

強く生きる為の魔法だった。

でもね今回のことに対してはそれが効かないの。

間違いなく彼らのおかげで私は頑張れた、自分でもよく頑張ったって思えるくらい頑張ってこれた、しんどいことばかりの現実を彼らが生かしてくれた。

夏のツアー学生としては最後だから行けるだけ行くつもりでバイトめっちゃ頑張った、就活も早い段階で予定組んでゴールデンウィークインターン行ってそこで決める!って意気込んでた。

好きなものの為なら私もこんだけやれるんだって自信になった。

なんで、どうして、嫌だ、意味がわからない、なんでなんでなんで、ぐちゃぐちゃの感情だけど嫌いって発想にはいかなくてそれが全てだった。哀しいくらい大好きだった。大好きしかないのだ。

すばるくんのいないエイトが想像できなくて、三馬鹿がない世界が辛くて、私はすば横好きだったからすばるくんが横山さんを置いて行くなんて一番ないと思ってて、なんかもうしっちゃかめっちゃか。

全員同じところ(首の後ろ)にホクロがあるのを見て「やっぱ俺たち兄弟やねんて」って嬉しそうに言ってたのすばるくんだったよね。友達何人おる?って話で「6人」って答えてそれがメンバーだったすばるくん。

関ジャニ∞の活動の中で一番印象に残ってることは?で「メンバーと何気ないこと、楽屋でしょうもないことを話したり、馬鹿笑いしてるときの顔とか空気とかがいつも絶え間なくあったのが一番。」って答えたすばるくん。

大変だったしんどかったということはありますか?に

「楽しいことしかなかった。一人じゃなかったから。」て答えたすばるくん。

そこにあるのは間違いなく私の好きなすばるくんで私の大好きなエイトだった。

ジャムラストのえげつない、ラップバトルでこれからもよろしくねって言ってたじゃん。

三馬鹿なんてジジイになっても一緒にいる気満々だったじゃん。

21年間一緒にいた人と袂を別つその覚悟ができる男の子達が残酷で理解できなくてしたくなくて美しくてかっこよくて何よりも愛おしい。

「ここから先の人生は自分だけの責任でどこまでやれるか、に懸けてみたいと思いました」かっこいいなぁほんとかっこいいよアイドルを好きになるまでこういうのはフィクション上でしかないものだと思ってたから。そして、男として友人として背中を押すメンバーも、ほんととことんフィクションを自で行く人達だなぁ。

不器用で真っ直ぐでどこまでも男の子。そんなところが憎いのに哀しいくらいそこに惚れてしまってる。

きっとこれからも私はうじうじし続けると思う。けどもうそれはしかないだって7人が大好きなんだもん。とことんうじうじして馬鹿野郎って言ってやる。

とりあえず殴り書いてみたけど、ほんと頭の中は何 一つまとまってない。今でも夢であって欲しいって思ってる。7人でいて欲しい。7人で関ジャニ∞でいて欲しい。いやだ。行かないでほしい。

ジャム魂行けてよかったな。

いまのわたしの精一杯の気持ち

だいすきだよ

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旅立つ夢を見てしまったのなら